山崎氏の記事がホッテントリ入りしていたので再言及を。
前回、私が山崎氏提唱の平均投資に対して「知的でスマートという印象を付与しよう
と試みるのは苦しい」と書いたのをまるで見たかのように、今度は他を愚図だのクズだ
の蔑むような表現を用い出しました。
山崎ファンにはこういうのがウケるんでしょうか。
「S&P500 vs オルカン」だの「ドルコストでリスクヘッジ」だの「○○に△ヶ月投資し
た結果~」みたいな子供騙しな投資ネタはどんどん斬ってもらって構わないのですが
攻撃的な表現を用いると、本来届けるべき層に届かなくなりそうで感心しません。
それ以外については特に目新しいものはありません。
・ 株式投資にはリスクプレミアムが存在する(大原則)
・リスクプレミアムを手堅く獲得するためには、広く分散されたポートフォリオを
持ち、じっと待つのが有利である(平均投資有利の原則)
と説き、巷間に流布されるデータ分析の類は何の証明にもならないと斬り捨てます。
おっしゃる通り、たかだか100年だか200年の株式市場から得たデータを長期投資視点で
切り取っても統計的に有意な標本数を満たせないというのは殆ど自明です。
投資の上で重要な原則はほとんどが論理で考えて結論が出るものです。
投資家に言いたい。「たいていの問題はデータで結論など出ません」
株式に「絶対」を求めるのは間違っています。
重ね重ねおっしゃる通りなのですが、論理的な正しさが人を幸せにするとは限らないのも
認めざるを得ない真理です。
また、株式に厳密な統計学的有意性を求めるのも「株式に絶対を求めること」の亜種
のように思います。
そもそも人生自体N=1であり、投資期間20年を一単位としてみても、一生の間で達成出来
るのは精々N≦3程度のものでしかないのに、「N<10だからダメ」みたいなことを
言っていたら「Human に investment は unreasonable」が最適解になってしまいかねま
せん。*1
私は頭があまり良くないので、「データ期間○年に対して独立な20年間は△つしかな
い」いう反論もよく分かりません。
20年に一回のタイミングでしか投資を始める契機が与えられないのなら分かりますが
現実では始めるタイミングが数年ズレただけでリターンが倍ほど違うことがあります。
「そんなの長期で均せば誤差ですよ」と言われるでしょうが、「株式投資にはリスクプ
レミアムが存在する」と言いながら、具体的に何年で何パーセントと答えられない*2上
に、「20年でも絶対ではない」、挙句「最後の最後には、損しても、お金で済むこと
だからいいじゃないかという、割り切りを持て」では、” 論理で考えた結論 ”がなんぼ
のもんじゃい、とそっぽを向かれても致し方ないと思われます。
投資対象が閉じた中での運用競争では、「平均」のポートフォリオを持ってじっとしていることが
有利な「平均投資有利の原則」が存在します
「長期投資という手法」と「NISAという施策」を採用することそれ自体が至上命題の
ように考えている、閉じた発想の人にはそれで良いと思います。
ポートフォリオを平均化しただけで、買付時のバリュエーションを全無視した程度の
「平均投資」にどの程度の優位性があるのかは再考の余地があると思いますが。
ドルコストを気休めと言うなら、株式ポートフォリオを全世界に振り向けただけで
安心感を覚えるのも気休めに毛が生えた程度のもののように思われますが、長期投資は
蛇の生殺しのような長丁場なんだから気休めの塊ぐらいで丁度良いのかも知れません。