期待と楽観で突っ走って来た相場ですが、現実に引き戻される決算シーズンで
どれだけ持ち堪えられるでしょうか。
バリュエーションの伸びきった、味のしないガムみたいな今の株式相場については
特に語ることもないので、また山崎氏頼りのネタを一つ。
山崎氏は近年、「リスクプレミアムのコレクション」と言う表現をことあるごとに持ち
出して「投資はいいぞ」論を展開されているわけですが、リスクプレミアムの正体に
ついてスッキリ解説してくれないので、ずっとモヤモヤが晴れません。
平生、舌鋒鋭い山崎氏をもってしても、リスクプレミアムについて語らせると、持論の
軸となる主要なセールスポイントであるにも関わらず
実務界も、実務界の考えを追認しがちな学者の世界でも、「株式のリスクプレミアムは
年率5%〜6%くらい」という辺りが多数説のようだ。
と、他人事のような腰の引けた解説しか出来なくなってしまいます。
実際、20年間リスクを取ってもプレミアムが一切獲得出来ない期間が存在する現実の
前で、効率的市場仮説のような、うぶな理屈を振り回してみても栓なきことで、プレミ
アムを生むリスクと、そうでないリスクの差はなんのか、またリスクプレミアムの源泉
はなんなのかという疑問は、投資に関わる者なら誰もが持つものでありましょう。
数か月前に掲載された
と言う記事に答えを求めましたが、やはり抽象的な説明に終始し、スッキリとした
理解を促すものではありません。投資は論理的に、スマートに、と言いながらも
その核となるリターンの源泉となるものの実態がこのように曖昧なものだと、いまいち
自身を持ってリスクを取りには行けないのは至極当然の心理でしょう。
そうした中、最新記事内に、期待を持たせる一節を見つけました。
さて、資産運用での「期待リターン」は、典型的には、「国内株式=年率5.5%」
「外国株式=年率6.2%」といった形で提供される。これらは、一体どこから来るのだろうか。
たぶん最重要に大事な数字なのだが、その求め方が説明される機会が少ない。
途中、若かりし頃のカミソリ山崎の微笑ましいエピソードが二つほど挟まれているので
各自お目通し頂くとして、結論部分はと言うと
もともとの問題に戻ろう。期待リターンは、どう決まるのか?
率直に言って、期待リターンは、主に機関投資家どうしでだが、投資家どうしの
「横並びを気にする駆け引き」を通じて、いわば社会的に決まっている。
競争には緩やかに「平均投資有利の原則」が働いている。
これの影響で、アセットアロケーションの配分が似てくると、ほぼ同じリスクデータを
使っているので、必然的に期待リターンも平均的な値に収斂させる力が働く。
これまた釈然としない回答に。
仮に、この世から機関投資家がいなくなったら個人投資家の取引の平均が期待リターン
になるのでしょう。
しかし、投資家間の駆け引きがないと期待リターンは生まれないのでしょうか?
そもそもその駆け引きも、何を手掛かりに行われているのでしょうか?
各々の何らかの期待や予測に基づく理論株価などの計算のもとに、つまり長期的には
ファンダメンタルズの上昇に追随する形で価格形成されると思うのですが、それが
長期的に5~6%内外に安定的に推移しているのは何故でしょうか。
私の長期平均モデルも、その辺りの数字を捉えているので、この5%だとか6%という
数字の正体が個人的にとても気になるところであります。
上で「ファンダメンタルズの上昇に追随する形で価格形成される」と述べましたが
株式投資は企業や経済の成長に賭けてリターンを得ようとする行為だという素朴だが
正確ではない理解を持っている人たちを、自らの誤りに気づかせたい
利益成長率がゼロでもマイナスでも、株式は、その情報が正しくプライシングされていれば
その株価で投資した場合にリスクプレミアムを生む
と山崎氏は言います。
本当にリスクプレミアムは謎です。
しかし、リスクプレミアムは「リスクを取りたくない人」が払ってくれているという
話と、横並びを気にする駆け引きの為にリスクを取ってアクティブに売買した結果
期待リターンが決まるという話は、なんだか矛盾しているようにも見えます。
まあ、知恵の薄いギャンブラーである私には機関投資家のような閉じた世界の
小競合いによって決まる平均的リターンなんてどうでもいいんですけどね。
個人投資家は制約に縛られず、好きな時に買ったり売ったり休んだり出来るのが
最大の強みなので。